随筆と文学

以前私が住んでいたマンションの隣人に原田氏竜一郎氏(ブログ:http://原田竜一郎.biz/)がいました。年齢も近かったことで二人でよく飲みながら話をしたりすることもあったのですが、その後私が引っ越しをしてしまったので、今では隣人としてではなく友人として付き合いを続けています。

 

仕事に対する話などをお互いにすることも多く、先日は転職についての話をしたのですが、転職を希望しているのであればまず自分を分析することから始めるのが良いと言っていました。
原田氏はこれまで数回の転職を経験しているのですが、さすが転職に詳しいだけあり、色々な話を聞かせてくれます。
どうして転職希望者が自分の分析をすることが大切なのかを聞いてみると、実際に働く転職を考え複数の会社に面接に行くたびに困ったことがあったそうです。

 

それは、面接で今後どのように自分が働いていきたいのかという質問が投げかけられた際に、具体的な返事をすることができず面接ではとてもマイナスになっていたのではないかということでした。
数回このように同じことを経験した結果、働きたいと思っている会社を決めるだけでなく、その会社でなぜ働きたいと思ったのかについて自分自身が言及していくことが大切だと気づき、万が一その会社で採用された後にはどのように働いていきたいのか、どんなふうに自分が成長していきたいのかを考えることから始めたそうです。

 

その中で自分が苦手としている仕事内容や、得意としている内容なども細かくノートに書き出し、冷静に自分のことを分析してみたと言っていました。
その結果、自分自身がどのようなスタイルで働いていきたいのかが見えてきて、そのためにはできるだけ多くの従業員がおり、一つのグループやチームを組んで仕事に取り組んで行かれるような会社への転職を考えたことが自分でも把握できたそうです。

 

興味だけで仕事をしていくのではなく、複数人で一つの目標に向かって行かれる会社を見つけたいという自分の中の気づかなかった想いに気がついたことで、その後の面接では、とてもイメージが良い手応えがあり、見事採用されて今では次々と新しい商品などを開発する仕事をしています。

 

このような経験を持つ原田氏は、万が一私が今後転職を希望するのであれば冷静に自分を分析してそれからトライしてみた方が良いとアドバイスをくれました。
確かに言われなければ気がつかなかった部分だし、どうしても転職をするとなれば、給料や会社そのものについての魅力ばかりを考えて面接を受けてしまう傾向にありますが、それよりも自分自身がどのように働いていきたいのかを考え、その上で自分の希望条件に見合ったフィールドを見つけていくというのが転職を成功させるための秘訣なのではないかと思います。

海外の作品を見てみるとエッセイという分野の語源となったフランスを代表する哲学者のミシェル・ド・モンテーニュのエセーという作品が有名だ。エセーは哲学的な要素を多く含んだ作品になっており、ミシェル・ド・モンテーニュが考える宗教戦争時代を生きる人々という存在に深く切り込んだ内容が読める。エセーは当時のフランスだけでなく、ヨーロッパ全土に影響を与えた作品で、エッセイの分野を作るとともに初めて人間性に関して作られたものだと言えるだろう。

 

作家の体験や知識を基にして書かれるエッセイは虚構の小説とは違って、時代や暮らしの環境などの影響を受ける文学と言えるだろう。日本のエッセイは昔から日記の様に作られたものも多く、現代でも気楽に読めるスタイルとして扱われる分野になっている。ヨーロッパエッセイは哲学ともいえる深い思索の中で生まれた論文的文学であり、日本の気楽に読める印象とは違った雰囲気のある作品が多い。

 

国によってエッセイという同じ分野で表現の違う作品があるのは作家の心情からでる作品ならではだろう。国内で作られた随筆やエッセイと呼ばれる分野の最初の作品は清少納言の枕草子とされています。

 

平安の清少納言が書いた枕草子は、宮廷社会を描く段や四季の美しさなどを語る段、類聚章段と呼ばれるテーマ毎に扱う段など色々な段で作成されている。有名な随筆は他にも鴨長明の方丈記、吉田兼好の徒然草など国語の授業でも取り扱われるような代表的古典があり、この二つは枕草子と合わせて日本三大随筆で知られています。

 

江戸時代に書かれたエッセイは階級社会の影響を受けて、多種のパターンが生まれた。江戸後期には日記的随筆が増えている。現代のエッセイの源流を作ったのは江戸時代後期の日記的随筆であり、読みやすい内容はその流れによるものだ。分野として、日本の本屋に置かれているエッセイは深く思索がされたものよりは読みやすい作品が多いようだ。人気があるものでは有名人の書くエッセイで、普段見ることができない心情を見れるような作品だ。

源氏物語とともに中古文学の代表作品であり、後の世の日本文学に大きな影響を与えた枕草子。ジャンルは随筆、つまりエッセイにあたる。枕草子が制作されてから時間が経ち、鎌倉前期に書かれた鴨長明の方丈記と約100年後に吉田兼好により書かれた徒然草の3つで日本三大随筆として知られている。

 

江戸時代に生まれたエッセイは階級社会を反映して、色々なパターンが生まれ、後期には日記的な書き方が主流となった。それ以後も多くの随筆が書かれたが、江戸時代中後期に書かれた日記風随筆が現代のエッセイの流れを作ったとされている。現代エッセイは作家ではスポーツ選手などの著名人が多く、人生で経験したことをもとに作家の考えを綴っているものが多い。

 

おそらく一般人からすれば知ることのできないスポーツ選手などの著名人の気持ちを知ることができるエッセイだからこそ大きな分野になったのだろう。最初にエッセイの語源になったのはフランスの有名な哲学者であり思想家のミシェル・エケム・ド・モンテーニュが制作したエセーという本で、実は日本三大随筆の3作品よりもかなり後にできた作品である。

 

日記的な内容で比較的ライトな日本国内の随筆とは異なり、ミシェル・エケム・ド・モンテーニュの書くエセーは宗教戦争時代を生きる人々を深い考察の中で表現しており、哲学的な面も多い作品は現代でも非常に評価が高い。当時のヨーロッパに影響を与えた作品エセーは日本でも有名な哲学者のパスカルやデカルトにも大きな影響を与えたようである。

 

作家の体験や知識を基にして書かれるエッセイはフィクションの小説とは違って、時代や生活の環境などの影響を受ける文学と言えるだろう。日本国内のエッセイは作家の感性に多く触れるものの、やや内容的にはライトなものが多く読みやすい作品が多い。欧米のエッセイはテーマに関して深い思索を経た書き方が主流であり、内容も日本とは印象が違って論文的なものが多い。エッセイという分野は一緒だが、執筆されている内容は作品によって国によって違う面があるのである。

本屋に並ぶエッセイというと考えるのはスポーツ選手や芸能人が書いたものではないだろうか。スポーツ選手や芸能人など普通であれば著者の心情がわからない人の心情が見えるのがエッセイ作品なのである。

 

日本の有名なエッセイというとまず上がるのが清少納言の枕草子で、日本人なら聞いたことがない人はいないのではないだろうか。枕草子というと同じ時期に作成されている紫式部の源氏物語とともに平安文学の代表作で、後世の文学に多大な影響を与えた。枕草子は鴨長明が鎌倉時代に書いた方丈記、その約百年後の鎌倉時代後期に書かれた吉田兼好の徒然草とともに日本三大随筆に数えられている。江戸時代の階級社会を反映したエッセイは様々なパターンに分かれていき、後期に日記的な書き方が増えていった。

 

江戸時代に書かれた随筆も多く、特に後期に書かれた日記風随筆が現代のエッセイの流れを作ったと言われている。海外の作品を見てみるとエッセイというカテゴリーの語源となったフランスを代表する著名な哲学者のミシェル・ド・モンテーニュのエセーという作品が有名である。日記的な内容で比較的ライトな日本の随筆とは異なり、ミシェル・ド・モンテーニュの書くエセーは当時の人間を深い考察の中で表現しており、哲学的な面も多い作品は現代でも非常に評価が高い。

 

ミシェル・ド・モンテーニュの書き方は非常に独特で、読み物としても評価が高く後の世にエッセイという文学カテゴリーを作る作品となった。小説はフィクションをもとに作る作品なのに対して、エッセイは作者の体験や知識がもとになっているためリアルな人を感じられる作品になっている。近年のエッセイと言うとを著者の経験ベースにしてリラックスした内容で読みやすい書籍だと考える人が多い。

 

主に海外のエッセイが論文的なスタイル、つまりテーマを深く思索された作品であるのに対し日本のエッセイはリラックスしたイメージがある。文学のカテゴリーとしてはエッセイは同じだが、実際に使われる国によっては作品の内容が違ってくるのは意外である。

大きな文学のジャンルの一つであるエッセイ。エッセイというジャンルだと認識していなくても読んでいる人は多い。小説はわかりやすい。フィクションをもとに筆者が物語をどんどん作っていくものだからだ。それに比べてエッセイは空想というベースではなく、著者自身の得ている知識や経験してきた実体験をベースとしている。

 

それらのベースをもとに思索を進め、一つの文章としてまとめていくのだ。印象の違いは同じエッセイというジャンルでも現れる。例えば日本のエッセイは軽い日記風のものが中心で、江戸時代中期に多く見られた日記風随筆がもとになっていると言われている。そのため、今でも書かれているエッセイ、本屋におかれているエッセイというと読みやすいものが多いのではないだろうか。

 

では海外のエッセイを見てみよう。実は日本とは同じエッセイでも内容の雰囲気が異なっている。日本が日記的というものであるのに対して、海外のものは哲学的な内容を扱っている場合が多い。同じエッセイなのに日本と海外で大きく表現が違うのはおもしろい。エッセイはカタカナなので、もとが日本語ではないことはわかるだろう。

 

実は海外エッセイが重い内容であるのはエッセイの語源を見てみるのが一番早い。元はフランス語で試すと言う意味のエセーだ。エセーがエッセイというジャンルになったのはフランスの哲学者ミシェル・ド・モンテーニュが出版した書籍「エセー」が用いた方法がエッセイの元になっているからだ。モンテーニュの知識や経験、観察を元にして、当時の宗教戦争の中を生きる人間を深く探求した作品になっている。

 

著者の経験をベースにし、思索を深く行った作品のつくり方が当時は確立されておらず、エセーの完成度の高さからエッセイが生まれたと言っていいだろう。エセーは後の世にも読み続けられパスカルやデカルトといった歴史に名を残す哲学者にも影響を与えた本だ。エッセイが文学として認められたのは小説などより後と言えるかもしれないが、今では小説と肩を並べる人気ジャンルになっている。